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1.宗教画鑑賞入門(1)
2.バロック音楽の聴き方(1)
3. イタリアワイン情報(1)
4. トスカーナ田園通信(1)
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1. 宗教画鑑賞入門(1)  
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宗教画鑑賞入門

今回は「聖母子」画に表される「象徴の持物」と「聖会話」と呼ばれる聖人等を伴う「聖母子」画がテーマです。 「象徴の持物」の「持物」とは、ある人物を特定する手掛かりの事です。ここでは、「聖母子」画に描き出されているそれらのモチーフとその意味、典拠をご紹介します。

幼児キリスト(あるいは聖母マリア)は手にするものには、林檎、ザクロ、サクランボなどがあります。林檎は創世記に出てくるエデンの園のアダムとエヴァが食べた事で有名な「知恵の木の実」を表し、キリストが来るべき救世主であることを暗示します。オランダ絵画では、オレンジも同様の意味を持ちます。というのは、創世記には禁断の果実が「林檎」だとは実は記されていないからです。ザクロは、ギリシャ神話に登場する穀物の女神のプロセルピナの話に由来し、この主題では不死と、キリストの復活の象徴です。サクランボは「天国の果実」と呼ばれ、天の象徴します。

そのほかに、キリストが手にするものとしては、 葡萄、穀物の穂、くるみなどがありますが、これはイタリアの有名な聖人アウグスティヌスの考えを反映しています。彼によると、葡萄は「聖餐(レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」で有名な場面)」の際に飲まれたとされる葡萄酒が転じて、キリストの血を、これに関連して穀物の穂はパンを象徴します。また、くるみは、果肉部分はキリストの肉、殻は磔刑の際の十字架の木を、仁はキリストの神的本性を象徴します。

キリストの傍らに表される鳥は、その殆どの場合がヒワです。ヒワが幼児キリストと関連づけられるのは、キリストが十字架を背負い、丘へ向かう途中、彼の頭上に一匹のヒワが舞い降り、額から茨の刺を抜いた際に、キリストの血を一滴浴びて、以来赤い点をもつようになったという伝説のためで、キリストの受難の象徴となりました。

特に15~16世紀の絵画では、 宗教的な意味合いを象徴物によって伝えようとする傾向が強いので、 これらの持物を確認される際にはその頃の絵画をご覧頂くのがよいかと思われます。

聖人像を伴う聖母子画は、 中世末期~初期ルネサンスには、中央に聖母子、左右に聖人が位置する三連画がその典型的な形式でしたが、14~15世紀になると、 遠近法の確立等の画家の技術的な進歩もあいまって発展し、 1枚の絵としてまとめられるようになりました。これが「聖会話」と称される形式です。

聖母は幼児キリストを抱いて玉座に座っているのが通で、 その横に聖人たちが立っています。 聖人は、 一定ではなく、 例えば作品を発注した聖堂の守護聖人であったり、 寄進者(作品のパトロン)の住む町の守護聖人であったりと、 何らかの理由により描かれています。修道会の為に制作された作品には、その関係者らが描き出されるので、それらが手掛かりとなり、その絵の来歴がわかる事もあるのです。

聖人たちは擬人化される事があり、その場合は対で表されるのが主です(「改悛」としてマグダラのマリアと「学問」としてのアレクサンドリアのカテリナなど)。

聖堂などに寄進する奉献画には、寄進者は自らを「聖会話」に参加させます。多くは自分の守護聖人の傍らにひざまづく形で表され、 その反対側には妻や子供たちとその守護聖人が対で表されます。このような絵を注文する理由には、 ペスト等の疫病の回避、 戦争の勝利などがあり、その理由によっても描かれる聖人たちは異なります。

最後に、 具体例として15世紀のイタリアの画家ドメニコ・ヴェネツィアーノの「聖会話」の聖人たちを取り上げます。 聖人は聖母とキリストを間にし、 左右に二人ずつたっています。一番左にいるのが、 聖フランチェスコです。その横にいて、こちら(観者)に目を向けているのが洗礼者ヨハネです。
ヨハネが指さしているのが、一番右に位置する聖ルチアです。彼女はえぐり取られた彼女自身の目がのった金の皿とシュロの葉をもっています。その横にいる司教は、 聖ゼノビウスです。 彼は祝福を与えるように聖フランチェスコに向かって右手をあげています。なぜ、このようにずっと昔に描かれた聖人たちが特定できるのかというと、 記録が残っている事もありますが、 彼らにもまた「象徴の持物」があるからです。
図版が載せられず残念ですが、 この絵は、 フィレンツェのウフィッツィ美術館に常設で展示されていますので、 機会がありましたら是非みてみて下さい。 勿論、 画集などでもみる事ができます。

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2. バロック音楽の聴き方(1)  
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今回は「フルート」という楽器を通して、昔の音楽の一つの特徴をお話したいと思います。
バロック時代には flauto と書いてあったら、それは今日で言うリコーダー、つまり木製の縦笛のことでした。横笛(フラウト・トラヴェルソ)はわざわざ flauto traverso とか Querflote、つまり「横の笛」と書いたのでした。大雑把に言って、イギリス人はリコーダーを好み、フランス人はトラヴェルソを好みました。ドイツとイタリアではどちらも愛好されました。また、17世紀はリコーダーが主流で、18世紀になると徐々にトラヴェルソにその地位を脅かされていきます。

トラヴェルソは7孔であるのに対して、リコーダーは左手(左利きの奏者は右手)の親指の部分にホールがあるので8孔ということになります。フィンガリング(指使い)はかなり異なり、リコーダーはむしろバロック・オーボエに似ています。リコーダーはルネサンス時代から大変愛好されていましたが、ルネサンス期のリコーダーとバロック期のリコーダーは様々な点でかなり構造が、従って音質も異なります。また、ルネサンス期はディスカント(ソプラノ)、トレブル(アルト)、テナー、バスを中心としたさまざまなサイズのものがあって、合奏(これを「コンソート」と言います)に多用されたのに対し、バロック期にはどちらかというと「独奏楽器」の性格が強くなります。

フルートで面白いのは、フランスバロックの「トラヴェルソ」好きです。実際、17世紀後半のリュリやシャルパンティエという作品を最後に、ぷっつりリコーダーがオーケルトラの管楽器として姿を消します。次世代のクープランの室内器楽曲ではリコーダーはすでに姿を消しています。私は高校の頃、リコーダーからトラヴェルソに転向したくてうずうずしていましたが、その最大の理由はこのクープランやルクレール、ラモーといったフレンチ・バロックのレパートリーが演奏できるからでした。(本当はヴァイオリンがもっとよかったのですが、時既におそしだったのです)

さて、現代フルートとどこが違うかといいますと、これはもうまったく別の楽器です。バロックの楽器全体に言えることなのですが、現代の楽器と比べると、(少し乱暴で怒られるかもしれませんが)パイプ・オルガンとエレクトーンの違いのようなものです。私個人の感覚をそのまま言わせてもらうと、現代(特に電子)楽器を聞いていると「バリウムのスープ」を耳から飲んだような感じがするのです。つまり音が耳の中に入ってきて身体のなかに溶けない、という感じです。私にとってはフルートもまったく同じです。つまり至極簡単なことで「音があまりにも美しい」のです。

それと、別の表現を試みますと、プスチックのリコーダーを吹くと吹きこんだ息が100%外に抜けていく感じがします。ところが木製の名器を吹きますと、管の木の壁のざらざらのためか息が複雑な反射を繰り返して、0.1%かも知れませんが息が戻って来て、これがわずかな「抵抗」と感じられるのです。この「抵抗感」が、腹筋のコントロールを微妙に軽減してくれて、きれいなぶれのないロングトーンを作るのを容易にしてくれるのです。一度濱田芳通氏がプラスチック・リコーダーを吹いているのを聴いたことがあるのですが、それでも完璧なトーンが出ていたのでさすが師匠、と思ったことがあります。実際、ヘンデルの作品などはこの能力をみれば一発で奏者の実力がわかります。

もう一つ、「調律」「音程」の問題です。簡単に言うと、バロック期までは「平均律」という調律方法ではなくて、別のシステムが用いられていました。今私達が普通に聞いているドレミの音階は、人間の耳の問題である和音や音階を演奏するとき、どこそこの音をほんのわずか高くしたり低くしたりするとより耳に心地よい、ということがあって、昔の人々はそれに敏感で、それを実現しようとしていたのです。

他の楽器や歌と同様、フルートもそれを実現するため、篠笛のメリ・カリ(指をほんのわずか滑らせて微妙に音程を調整すること)のようなことをやったり、クロス・フィンガリング(開孔した指のしたの孔を閉じたりする指使い)を使ったりして、音程を下げずに弱い音を出したり、また、明るい音にしたり、くすんだ音にしたり、といろいろ工夫したのです。30年ぐらい前には(多分今でも)、芸大の先生でも「昔のフルートは音が小さいし、音程が悪すぎるので、モーツアルトはフルート・コンチェルトをなかなか書かなかったんだ」などと言っていたのもので、その無知蒙昧ぶりはこんにちから見ると信じられないものがあります。

バロック時代の音楽家がモダンフルートを知っていたら「あのブラヴェ(フランス・バロック最高のフルート奏者)氏は、モダンフルートは音がやかましくて汚いし、音程の調節が極端に難しいので、決して吹こうとしなかったんだ」と言っていたことでしょう。

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3. イタリアワインニュース 
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11月にローマでびっくりするほどおいしい白ワインに出会いました。名前を覚えた積もりで控えなかったのですが、あまりのおいしさに2本も飲んだら酔っ払って名前を忘れてしまいました。ローマに行かれる方は、トレビの泉近くに「サクロ・エ・プロファーノ」Sacro e Profano(ボルゲーゼ美術館にあるティツィアーノの有名な絵の名前に因んだもの)というカラブリア料理を食べさせる素敵なレストランがありますので、そこでカラブリアのお勧め白ワインと店の人に言って召し上がってみてください。感動します。ただし、予約必須!

最後に、私の独断と偏見に満ちたお勧めワインの名前を挙げておきましょう。
1) シチリアの Rapitala', Regaliari, Corvoの "Colomba Platino"(すべて白)
2) ヴェネツィアの Prosecco(スプマンテ)
3) トスカーナの Brunello di Montalcino(赤)、Casato delle Macie, Vernaccia di San Gimignano(白)
4) ナポリの Greco di Tufo(白)
私はイタリアはほとんど白しか飲まないので、赤の好きな人ごめんなさい。でも、一番おいしいのは、田舎のトラットリーアでカラフで出てくる Vino da casa です。田舎で奮発して bottiglia のワインを注文して vino da casa よりおいしく感じたことはあまりありません。
それから、Soave, Frascati, Orvieto などは日本ではまったくおいしくありませんが、現地で飲むと信じられないぐらいおいしいのがあることを申し添えます。

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4. 『トスカーナの田園通信A-Z』 
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皆様、はじめまして。'98年6月以来、アレッツォの片隅での生活が始まりました。初めてイタリアを訪れてからは6年半の歳月が流れていますが、まだまだ生活習慣などの違いに戸惑うことも多い日々です。そんな暮らしについて、こまごまと綴ってみましたので、興味のある項目からお読み頂ければ幸いです。

Acqua
昨夏の終わりに5日間断水しました。猛暑による水不足が解消しつつある時期でしたが、水道管の破損が原因でした。貯水槽の共同管理責任者である2つのコムーネは、お互いに責任を押し付けあうばかりでなかなか腰を上げず、また破損地点であるブドウ畑の所有者は「俺の畑に穴を掘られてたまるか!お断りだ!」と工事担当者の立ち入りを拒否していたために、事態はますます難航。毎日のようにコムーネに電話をかけて、ようやく4日目に貯水タンクを積んだトラックが到着。他の家庭は屋内貯水槽の容量が十分あったようですが、初日から生活用水に困っていた私達に「でも、騒いでるのはお宅だけなんですよ。」と応対する職員には呆れるばかりでした。それにしても、水がないと衣食住のすべてに不都合が生じることがよくわかりました。以来、節水に努めています。

Borro
挙式後の披露宴会場として、イル・ボッロという小さな小さな村を訪れました。
かのフェラガモが村ごと買い取り、この中世の村をよみがえらせました。第5日曜日にはアンティークの市で賑わいますが、ふだんはひっそりとしています。レストランから伸びる石畳の道を登っていくと、中世風に修復された家並みが続き、途中左手にはかつての生活様式そのままの電気仕掛けのプレセピオや、やはり電気仕掛けの「ピノッキオの冒険」の名場面の数々を展示した部屋や、インテリア雑貨の店があります。また、アメデーオ・ダオスタ公から村の教区教会に贈られた「トリノの聖骸布」として有名なシンドネのコピーを鑑賞することもできます。機会があれば、一度訪れてみてください。

Computer
かつて「柳行李ひとつで…」という言葉がありましたが、私はスーツ・ケースで嫁入りし、嫁入り道具はノート型パソコンでした。最近、鎌倉の両親もE-mailを始めたので、電話代や時差を考慮することなく、近況報告やレシピの交換ができるようになり、「文明の利器」はますます活躍しています。

Diego
家からポンティチーノ駅までの道に、ディエゴという名前の犬がいます。小型ながら番犬としての任務に忠実で、いまだに吠えてくるのですが、自分の体格に自信がないのか、必ず仲間達に応援を頼むのです。以前は、すぐそばに大型犬がいたので彼も威勢がよかったのですが、この犬が死んでからは、さらに先にいる双子の猟犬のところまで、私達にからかわれながらちょこちょこと駆けていかなければならず、声はいまにも消え入りそうでした。その後、死んだ犬のところに、また同種の仔犬がやってきたのですが、こちらはすっかり私達になついてしまい、ディエゴもこのところはおとなしくなりました。クリーム色のふさふさとしたしっぽを揺らしながら、ちょこちょこと駆けていく後ろ姿が、ちょっぴりなつかしくもあります。

Ecologia
日本のように「環境ホルモン」について騒がれているわけではありませんが、深刻な環境問題を抱えているのはイタリアも同様です。最近ではフィレンツェにおけるバイク規制が議論されています。駐車場所確保などの問題からバイクの利用者が増加するのにつれて、排気ガスによる大気汚染がひろがっています。フィエーゾレからフィレンツェを眺めた時、黒雲のように市街を包み込む排気ガスの存在に驚いたことがありますが、それ以来、カンポ・ディ・マルテ駅を過ぎる頃から、空の色が灰色にくすんでいくような感じがします。
(次回に続きます。お楽しみに)

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