TOEICのスコアに一喜一憂することなく、地に足が着いた学習を楽しんで

 

翻訳セミナーに出席する生徒さんたちと話していると、最近よく話題にのる、いわゆる「日本語の乱れ」を感じるということもありますが、同時に、カタカナ語(日本語化した英語)を無自覚に使用することが多くなっていると感じることがあります。

翻訳を勉強しようというレベルの人たちだから、おおむね高学歴者が多いというのもあるのでしょうが、いささか度が過ぎている感じがします。 

もちろん、言語というものは、どの国でも、時代時代にその国が政治経済文化的に影響を受ける国の語彙をたくさん移入するという歴史的事実はあります。かつての英語は夥しい量のフランス語を吸収したし、タイ語の語彙はその多くがサンスクリット語、パーリ語の借用語です。日本語でも、古代には中国語から多くの学術語や観念的な語彙を借用しましたし、明治時代には、英語ばかりでなく、科学や哲学ではドイツ語、芸術分野ではフランス語から多くの語彙を取り入れました。

 しかし、こうした歴史的な現象に比べて、現代の日本語における英語(若干はほかの欧州言語)の氾濫は、学術語ばかりでなく、ごく日常的な口語、俗語の分野で起こっている点が特徴的です。このような現象はインターネットの普及によって大量の情報が海外から流入してきていることも大きな要因としてあるでしょう。

 

巷間、活字離れがうわさされるようになって既にだいぶ時間が経ちました。

文科省の国語教育の軽視もあって、若者のみならず一般の日本人の論理的思考力もぐらついてきているように思われます。じっくりものごとを論理立てて考えて表現するという訓練が絶望的に不足しているため、自分自身あやふやなその感覚を、没個性的なはやり言葉や、感情的で実は中身のないカタカナ語でごまかしながら口に出しているようにしか思えません。 

他方、メディアの発達により表現の画一化が進み、知識人のあいだですら個性的な表現が衰退しつつあります。数年前に、鳩山元首相が「考え」というべきところに「思い」という気色悪い言葉を連発すると、これがメディアの人々のあいだで蔓延し、瞬く間に日本国中の人が使うようになりました。

 

問いかける側も考えをきちんと整理して正しい言葉で落ち着いて発話しないので、聞いている側もあやふやなセットフレーズで応じる。気づいてみると、話がかみ合っていないこともしばしばで、両者ともわかっているようで実は何も本質的なトークがなされていないというような場面を、テレビの討論番組などでもよく見かけます。

 

ビジネスピープルはと言えば、特にIT業界や国際政治、金融の業界では、業界特有の英語が飛び交い、少し専門を離れた人にはもはや何を言っているかわからない談話が跋扈している。特に、外国(米英)で長く暮らしていた人や、留学してMBAでも取得してきたようなエリートなどは、英語の表現が普通の日本人にどこまで通じるのか理解していないようだ。あるいは、むしろそうした専門用語を散りばめることによって、自分の知識人としての力量を誇示しようとしているのようだ。 

 この背景には、日本と欧米の両方にまたがって生活やビジネスでの経験を積んで来た人に特有の、日本語・英語間での「表現形式における葛藤」があります。海外で生活し、人間関係やビジネスでギャップに苦労した人は、自分のアイデンティティをどのあたりに置くかで悩むことが多いのです。

 

 日本式で通そうとすれば現地の人々との軋轢に苦しみ、現地人に近い考え方に染まると、いわゆる「忖度」「阿吽の呼吸」に代表されるような日本語のコノテーション(言外の含意)への理解を欠き、日本人とのコミュニケーションが難しくなるのです。私も四六時中外国語と接している立場の人間なので、こうした人々の葛藤を理解できないわけではありません。

 

では、現代の日本人が抱えるこの種の問題を解決するベストの方法はあるのでしょうか。私としては、やはりまず日本人としてのアイデンティティをしっかり固めたうえで、文化や社会的な慣習の違いを広く理解する力と、違いを認め合う寛大な精神を養い、自分の立ち位置を確立していくべきだと確信しています。

 

そのためには、いま一度、国語を(特に文章語を)徹底的に学んでから、外国語の学習を始めるべきです。残念ながら日本語と英語は構造的に著しく異なる言語であり、また表現の仕方のベースになっている文化的バックグラウンドとも大きく異なるため、逐語的に訳していくような学習の仕方や、丸暗記型の学習では習得が不可能だからですで。

 

 こうしたことを考えると、TOEIC中心の英語教育は極めて非効率的なものであり、いわんや学校教育やビジネスでの英語能力の適切な評価にはまったく不向きであると言わざるを得ないのです。

英文法を日本語文法と比較しながら学ぶことは、学問の基礎となる「論理的思考力」を鍛えるのに非常に効果的であるし、それによって、日本の英語教育もバックアップしている根強い英語及び欧米文化に対するコンプレックスも取り除かれていくのです。

 

こうしたことを踏まえて、文科省、教育関係者、実業界の指導的立場にある人に、TOEIC中心主義を捨てて、真の意味で日本人に適した英語教育とはどうあるべきか、考え直してもらいたいと思います。同時に、現在英語を学習している方々には、TOEICのスコアに一喜一憂することなく、真に地に足が着いた学習を楽しんでいただきたいと切に思うのです。

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